冷房でガッツリ冷えた教室で「暑くなーイ?」とご友人にぼやいてらっしゃるふくよかな女性に対し、「その原因はあなたの体脂肪率と深く関係していますよ。」と、優しい言葉をかけることができない。
そんな平助です。
暑くなってまいりました。
我が家の二人と一匹も、なんとか科学文明に毒されぬように努力はしてみるものの、滲み出る汗と体臭のせいで余計に体調を崩しそうです。
とにかく臭い。
うっかり出先で靴なんか脱いだ日は、さしずめ自爆テロ。
んー、ちょっとかゆいなぁ。なんていいながらポリポリやった指先を嗅いでみた日は、「あたしゃ前世はドリアンかい!!」とかなんとか叫びながら悶絶。
まったく恐ろしい世の中になったもんです。
さて、そろそろ中華料理屋の入り口に、あの定番の張り紙が張り出されている頃でしょうか。
「冷やし中華、はじめました」
こりゃもう日本の一大事です。町で人気の中華屋さんが張り出した日には、町じゅう大騒ぎです。役所の広報車が町内の隅々まで回っているでしょう。
一体全体どこのどいつが先陣きって始めたのかは存じ上げませんが、これを見ると俺自身「夏がきたなー。」と改めて思うものです。
しかしここで、それと同時に生まれる問題が一つ。
「はじめました、って言ったなら、”終わりました”も言ってほしいよねー。」
出ました。
きっと全国の小中学生の皆さんの話題は、これで持ちきりでしょう。
確かに「始めました」と宣言したぐらいなら「終わりました」を明確にしても良いものです。
他の例でたとえてみると、オリンピックの閉会式が無いようなものです。正にヤリっぱなし。駆け込んだトイレで、流されていないウ○コと対面したような気分です。
しかし俺は、この意見にそこそこ大きな声で反論したい。
そもそも「始めました」を張り出す時期とはいつか。まずこの点がはっきりとした日付けに法っていないということを確認しておきましょう。
では一体いつ、あの張り紙は世間に痴態をさらすのか??
それは、全国のさびれた商店街に展開する、未だラーメンを中華蕎麦と銘打つ飲食店の店長、もとい店主が、「あっちーなあ、冷やし中華、喰いてぇなあ」という気分に浸った時、その瞬間はやってくるのです。
そう、要するにいつだっていいんです。それこそ寒風吹きすさぶ中、張り出したっていいんです。「冷やし中華=夏!!」といった図式を勝手に作り上げている世間が悪いんです。
きっと真冬の寒空の下、世間の波に抗う若者たちはきっと、コンビニの店員に詰め寄りこう言っているでしょう。
「何で冷やし中華が無ぇんだよ!!なんで夏じゃなきゃいけねぇんだよ!!!俺たちは、今、冷やし中華が喰いたいんだよ!!」
うん。自分で作れ。
となると話は簡単です。冷やし中華の張り紙は、人間たちの「季節感を楽しみたい」というエゴイズムを満足させるために生まれた産物なのです。
ここからここまでが夏、という線引きがない事象に対し、なんともあやふやな線引きを引こうと試みているにすぎないのです。
しかしそうすると、いわゆる”夏の終わり”に問題が生まれます。
妻:「あんた・・・そろそろ夏も終わりだね・・・。」
夫:「そうだな。そろそろ冷やし中華、やめるか。」
妻:「でもあんた、まだ食べたい人もいるんじゃないのかい?」
夫:「しかしよう、もう夏は終わりだぜ?」
妻:「でも、それって人によって違うんじゃないのかい?」
夫:「おう、確かにそうだ。参ったな。”終わりました”の張り紙、いつ出せばいいんだ。」
妻:「別に出さなくてもいいんじゃないのかい?そんなに誰も気にしちゃいないよ。」
夫:「確かにそうだな・・・。まったくお前は自慢のかあちゃんだよ。」
妻:「あんた・・・やめとくれよ・・・照れちまうだろ・・・」
夫:「房江・・・」
妻:「栄八さん・・・」
季節とは、カレンダーに載っているものではございません。
皆様一人一人の心の中に生まれるものなのです。
たとえあなたの夏の始まりが「冷やし中華、始めました」だとしても、「終わりました」に夏の終わりまで求めるのは、無粋というやつでしょう。
あ・・・いつのまにか冷やし中華、終わっちゃったナ・・・。もう、夏も終わるんだな・・・。アイツ、頑張ってるかな・・・。
ぐらいの気概でいいじゃあないですか。
それでも「終わりました」がほしいあなたは、店主に直接交渉してみてはいかがでしょうか。
「オヤジ!!頼むから”終わりました”と言ってくれ!! 俺の・・・俺の夏が・・・あの恋が・・・終わらねぇんだよォ!!!!!!」
まあまあ皆さん、いろんな思いがあるでしょうが、今日のところは許しておくれやす。
以上、冷やし中華が大嫌いな平助でした。