「心が満たされない時代だ。」
ただのワガママのような気がしてしまうのは何故。
父の仕事の都合上、転勤に伴った多くの引越しを経験してきました。
およそ二年から三年に一回のペースで、それが当然だと思うのも必然だったのでしょう。
物心つく頃には、さて次はどこへ行くのだろう、という気持ちがいつもありました。
まぁ、そこらへんの話はいずれ詳しく。
今は、こんにゃく畑で有名のはずが、ほとんんどの人がその実態を良く知らない群馬県に一軒家を構え、悲しいかな父は、朝の4時に起きて通勤をしております。
あらためて感謝。
アタイも頑張るわ、パパン。
勃たなくなることが無い程度に。
さて、その群馬県ですが。
何もないんです。
例を出すなら、
「君の家の周り、目印になるようなものある?」
「そうだな・・・南と東がネギ畑だよ。」
いや、マジで。
極端な例かもしれませんが、「家の裏が温泉」みたいなセレブ風村民もいますから。
あくまで「セレブ風」ですけどね。
そいつの家、牛飼ってますけどね。
お乳搾ってましたよ。慣れた手つきで。
まぁいやらしい。
幸い(失敬)にして、実家の近辺はここ数年の間で急速に成長している土地柄のおかげか、そこまで日本昔話なイメージはないんですが。
しかし、都心近くで暮らすようになって、力の差を痛感しました。
人も商品も食べ物も、なんとモノがあふれていることか。
こっちから見に行かなくても、向こうから見せに来てくれる。
そんな印象を受けました。
イメージとしては、スーパーサイヤ人がそこらじゅうにいる感じ。
いやでも目に入りますわな。
初めはそんな世界にウハウハしたもんです。
まさに脳内阿波踊り状態でドーパミンエンドルフィン過剰分泌です。
なにせ、ちょっと足を運べば、なんでもそろっちゃうんだヨ!?
思わず興奮して、ウンコも出ちゃうヨ!!
おかげさまで出はしませんでしたが。
しかし、異変に気が付いたのは、一人暮らしで初めての夏がやってきた時でした。
なんだか、とても息苦しかったんです。
肺が重い、という感じでしょうか、呼吸をするたびに倦怠感が襲ってくるようになったのです。
こいつは今はやりのアレか?ウツビョオーってやつか?
とヘラヘラしながら、不謹慎な勘違いをしておりました。
今考えると、答えは単純。
空気と水の違いなんですな。
実家に帰るたびに、そのことを実感します。
何よりも、水がマズイ。
後々になって知ったんですが、神奈川県の水は日本一の不味さ、だということでした。
そりゃー米も不味くなるわよ、おっかさん。
あんなに孝行者だった息子も、性格悪くなりますって。
先にお話したとおり、実家の周辺は群馬の中でも特に発展している土地の一つです。
先月も行ってきたのですが、以前と比べると随分人や車が増え、空気の臭いも変わってきたようです。
どんどんモノは手に入りやすくなってきているんですけどね。
寂しいやら、嬉しいやら。
モノがあふれている世界に生きる人達は、「何かが足りない」と嘆きます。
その「何か」があふれている世界に生きる人達は、「モノが足りない」と嘆きます。
どちらかに傾けば、当然天秤のごとくその対極にあるものが離れていきます。
そんなことわかっているはずなのに、やっぱり両方欲しがってしまうもどかしさ。
結局は無いものネダリなんでしょうか。
行き過ぎた願望に知恵が手を差し出せば、それはただの欲望でしかないと思うのです。
ま、欲でのし上がってきた人間さまだから、当然なのかもしれませんが。
おざなりな話ではありましたが、ここらで失礼。